オペラの世界: アッバードとの稽古は「芸術を創り上げる喜びの時」でした

Buonasera a tutti!

 

今日は新しいコーナーを紹介したいと思います。

イタリアと言えばオペラが思い浮かぶ方は大勢いらっしゃると思います。イタリア好きの方に限らず世界中に愛好家がいるオペラについてこれから少しずつ理解を深めていきたいと思います。

この企画に協力していただけるのは「音楽の友」などの各誌に執筆する音楽ライターの河野典子さんです。有名な歌手などとのインタビューを通して見えてくるオペラの世界を一緒に覗いてみたいと思います。

このコーナーの第一号として、「リゴレット」などで有名なバリトンのLeo Nucciを紹介します。

 

 

Leo Nucciレオ・ヌッチ(バリトン)


1942年生まれ。現代を代表するヴェルディ・バリトン。

特に《リゴレット》のタイトルロールは彼の当たり役と言われ、2014 年4月4日のウィーン国立歌劇場での公演で同役出演500回を祝う。2013年のミラノ・スカラ座歌劇場来日公演においてもそのリゴレット役で圧倒的な存在感を示し、聴衆の喝采を浴びた。

 

 

 

アッバードとの稽古は「芸術を創り上げる喜びの時」でした

 

――あなたの日本デビューは、アッバード指揮によるスカラ座の《セビリャの理髪師》でした。

レオ・ヌッチ(以下N)マエストロ・アッバードが、スカラ座で最後に振ったオペラ公演となった84年の《セビリャの理髪師》でも僕は同じくフィガロを務めました。彼は生まれながらの並外れた才能の持ち主である上に典型的なイタリアン・スピリッツの持ち主で、ロッシーニの数々の作品にしみこんでいるイタリア人の陽気さを伝えることができました。僕がスカラの合唱団員だった頃のポネル演出の《チェネレントラ》も素晴らしい公演でした。録音で参加した《ランスへの旅》も作品の美しさが再発見されたのみならず、やっていてとても愉しかったし、音楽的にも、声楽芸術としても高いレヴェルのものでした。彼はロッシーニ指揮者としても超一流でした。

81年の来日公演のとき、こんなエピソードがありました。《セビリャ》の楽日、歌手たちとオケがアッバードにいたずらを仕掛けて、歌のレッスンの場面で、マエストロに内緒で伯爵役のアライサとバルトロ役のダーラが2人で《トロヴァトーレ》のマンリーコのアリア“見よ、あの恐ろしい炎を”を歌う準備をしていました。ところがアッバードの方がうわてで……実は僕が一枚噛んでいたんですが……、その瞬間、マエストロは何の迷いもなくあの有名なアリアを振り始めた。それにはメンバー全員がびっくりして、そのあと爆笑の渦でした。

 

――あなたはスカラ座で70年代の終わりからアッバードの指揮で《ドン・カルロ》のロドリーゴ、そして《シモン・ボッカネグラ》のパオロを歌い、83年には《ドン・カルロ》(フランス語版)の録音にも参加されました。そして90年にはウィーン国立歌劇場でも彼の指揮でシモンを歌っていらっしゃいます。その10年ほどの間で、アッバードのヴェルディはどのように変化していきましたか。

彼はとてもロマンティックなスタイルの持ち主でした。それはシンフォニーのレパートリーでも同じだったと思います。偉大な芸術家の提示する音楽は、常に変化する、というより、変わらねばならない、と僕は思っています。その点においてもアッバードは本物の芸術家でした。そして彼は他者に対して常に寛大であり、社会的な問題の解決にも尽力した人でした。それこそがヴェルディを演奏する者には欠かさざるべき資質なのです! なぜならヴェルディが飾りもののきれいな音楽を書いた人ではなく、人の心の琴線に触れる人間の本質をえぐる音楽を書いた人だったから。そしてアッバードには、そのヴェルディの音楽を再現できる力がありました。彼とは《ドン・カルロ》の他に《アイーダ》も録音しました。あの頃はまだ……残念ながら、生きた感情の流れを伝えるクラシック音楽に適しているとは言いがたい……スタジオでの録音でした。しかしアッバードはそのカリスマ性と、あの微笑みで、皆を音楽の素晴らしい世界に導いていったのです。

 

――アッバードがオペラ公演を作り上げて行くとき、彼は歌手とどのように関わってきたのでしょうか。

アッバードとの稽古で「悪夢のような思い」をしたことは一度もなく、それはいつも「芸術を創り上げる喜びの時」でした。それは歌手だけでなくオーケストラのメンバーにとっても同じだっただろうと思いますよ。彼には“呼吸のセンス”というものがありました。それは歌の分野だけでなく、彼の音楽全体に言えることでしょう。彼が歌手たちに無理なことを押し付けたことはありませんでした。それは彼の考え方が柔軟であったと同時に、問題を解決するために実にいろいろな方法を知っていた、彼だからこそ可能だったことと言えましょう。

 

――イタリアの音楽界にとってクラウディオ・アッバードとはどんな存在でしたか。

イタリアの音楽界はこれまでの歴史で最も偉大な指揮者のひとりを、イタリアは卓越した文化人を失いました。そして僕もまた、ひとりの大切な友人を失いました。

 

 

インタヴュアー:河野典子

「音楽の友」2014年3月号より転載。なお、イタリア語によるインタヴュー原文は、レオ・ヌッチ氏のオフィシャル・サイトに掲載されています。

Leo Nucci Official Website

 

 

プロフィール

インタヴュアー:河野典子(Noriko Kohno)

東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1982〜89年在伊。帰国後音楽評論家としてイタリア・オペラを主とした公演批評、来日アーティストのインタヴューなどを「音楽の友」「GRAND OPERA」などの各誌に執筆するほか、来日アーティストのプログラム執筆やCDライナー・ノーツの翻訳、NHK BS〈クラシック倶楽部〉の歌詞字幕などを担当。

2010年、東京都主催〈Music Weeks in Tokyo2010オープニング・シンポジウム〉(東京文化会館・小ホール)の司会を務めたほか、13年からはWOWOWのニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演番組〈メトロポリタン・オペラ〉に解説者として出演、また番組監修も務めている。録音・コンサートのプロデューサーとして現役歌手のサポートにも積極的に取り組んでいる。共著に「オペラ・ハイライト25」(学研)。

 

 

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